洋服が好きで好きでたまらないことをやめたいブログ

買うのが止まらないことから自分に向き合うブログ

収納用品◆必要か必要でないか?


こんにちは。


物を減らす・整理する過程で湧き上がってきた
「収納家具が欲しい」という気持ちについて自分の心の整理のために書いてみようと思います。

 


ある程度片付いてくると、
「ここにこういう家具が入れられたら、もうちょっとすっきりするなあ」
という気持ちが出てきました。


実際にわたしが今欲しい家具は


無印良品のパイン材シェルフ
 →下にゴミ箱を収納して、ゴミ置き場のごちゃごちゃを解消したい。
そうすればキッチンの空間が広くなる。
ビニールストッカーをかけるのに便利そうな形だし、
食器の収納と炊飯器・ケトルの置場がまとめられるのが便利そうだと思う。
値段もなんとなく手が届きそう。(欲しいのは12000円のもの)


クローゼットも同じラインナップのものを使っていて、すごく丈夫なのでほしいです。

 


◆洗面台の横の空間に入れられるストッカー
 →できれば三段の引き出しのついたもの。
天板によく使う化粧水などを整理して置きたい。
バスタオル、フェイスタオル・サニタリー用品などをまとめてすっきりさせたい。


こちらも目星をつけている商品があるのですが、
7000円ほどするのと、サイズを測っていないのでまだ思いきることが出来ていません。


◆婚約者用の上着やスーツを掛けるコートラック
 →今使っている無印のパイン材のクローゼットがぱんぱん。
厚手のものがこれから必要になってくるし、婚約者のものは分けて収納した方がお互い快適では??
目星をつけている商品は13000円。婚約者も気に入っているテイスト。
でも相手の持ち物に口を出すことになりそうで…なかなか思いきれません。

 


以上の三点です。

これらの家具を購入に踏み切れないのは…
ほんとに必要か??というところがまだ見極められていないように思うからです。

 

実家から引っ越してきたばかりのころは、
「大きな家具を買うと、もしも引っ越しをするときにすごくお金がかかる」という意識があり、
意識的に簡易家具ばかりを購入していました。
ですが…某量販店で購入したポールタイプのクローゼットがすぐ壊れてしまったことをきっかけに、
それなりの値段の大きい収納家具は買ってもいいのでは??と思うようになりました。


ポールタイプのクローゼットが壊れたのは、間違いなくわたしが服を持ちすぎなせいですが……
今使っている無印のものもちょっと心配になってきました。
なぜなら、婚約者のスーツやコートなどもたくさん一緒にしまっているからです。
(この家具は高かったので、万が一の買い替えは回避したい……)


なんにせよ、簡易家具よりもきちんとした家具の方が丈夫で長持ちするのは確かです。


こうして書き出してみると、早急に検討したいのは婚約者用のコートラックかもしれません。

 


洋服は12000円くらいのものなら「安い!かっちゃお!」と思えてしまうのですが
生活を整えるのに必要な家具が買えないとは…情けないです。
どちらも同じくらいの価格帯なのに!


それとはまた反対な考えでもあるのですが、
「本当に必要か?」「安易に収納する場所を増やしてしまっても大丈夫か?」
「スペースを圧迫しないだろうか」「購入を失敗するのでは…」
などの気持ちも感じています。
家具は洋服と違って、購入を失敗したときに比較的家の外に出しにくいものだからこそ
少々慎重にはなっているのだと思います。


この考えが洋服を買う時にも頭をよぎれば…
というか洋服を買わずに余らせたお金で買えばよかったのでは…


後悔するとキリがないです。

 


もう少し家の中のものを捨ててみて、それからもう一度必要かどうかを検討してみようと思います。
2人暮らしなので自分の思うとおりにならない荷物や物も多いのですが…
(婚約者はいわゆる片付けられない人でタメコミアン。
朝わたしの最初の仕事は彼が寝る前に脱ぎ散らかしたシャツと靴下を回収する事です。
苦にはなりませんが、自分の空間を維持するのが少し大変です。)

あまり一気に解決することを考えないように頑張っていこうと思います。


値段で買う順番を決めるのではなく、一番必要なものから
必要であれば購入して、生活空間を整えていきたいと思います。


もしかしたら、自分が思い描く理想の生活が、家具を買うだけでかなえられると思っている節もあるかもしれません。
もしそうなら、理想の自分を実現するために服を買って溜め込んでいることと本質は同じになってしまいそうなので
慎重に考えることが必要そうです。

 


お読みくださりありがとうございます*

靴の整理◆壊れた物をとっておかない

こんにちわ。

今週のお休みは掃除と洗濯がようやく片付けられました。

雨つづきで洗濯物が溜まっていらいらしていましたが、ようやくすっきりできました。

 

 

そしてずっと気になっていた靴の処分をすることができました。

実家から引っ越して来る時にたくさん捨ててきて、持っていきたい!と思ったものだけ残したはずなのですが…今思うと、なぜこれを持ってきたのか??と疑問に思うものがほとんどでした。

 

靴底が割れて露出している靴

履くと足が痛くなるのにデザインがかわいいからと捨てずにいた靴

(しかも、好みが変わってしまって一度も履いてません)

などなど…

 

引っ越してからはもちろん使ってないものばかりでした。

 

思い切ったおかげで靴箱がすっきりして、玄関に出していた靴をしまうことができました。

玄関もすっきり。広く感じるようになって嬉しいです。

 

まだまだ時間はかかりそうですが、これからも少しずつ捨てることを頑張っていこうと思います。

 

 

お読み下さりありがとうございます*

 

人と比べてしまうこと

買わない・欲しがらないということを実践していくためには
羨ましいと思わないこと=人と比べない事が重要だと感じます。

つい、自分と似た境遇・シチュエーションにいる誰かと比較して
自分はすごく足りない気がしてしまい、その人の持っている「素敵な品物」を
手に入れようとネット通販の検索に励んでしまったりします。
それがとても高価なものだとしても、手に入れることで自分も
「素敵な何か」になれたような気がしてしまうのです。


根本にあるのは「自分は自分」という自信のなさだと思います。


似た境遇に見えても、その人とは職業=収入も違う
価値観も、お金を使うところも違う
こうやって冷静に考えればわかるはずです。


そうして余計なものを購入し、お金を流出させ、「素敵だな」と思ったその人のような生活を
試みることすら難しい状況にしてしまうのです。
理想の生活・自分が思い描く心地よく過ごす生活から自分を遠ざけているのはほかでもない自分自身です。


さっきもクッションやカーペットを買いそうになりました。
まだ買いたい気持ちがくすぶっています。
ここに書き留めて、折り合いをつけたいです。

 


お読みくださりありがとうございます*

衝動的な性格・人の顔色次第でコロコロ変わる意見

人間関係の中での自分について考えてみました。
はたしてわたしは自分の気持ちや存在を尊重しているのか?と時々わからなくなります。


職場でのストレス元の後輩社員にまつわることについては以前の記事にも書きました。
わたしの思う常識が通じず、ずる休みとも取れる欠勤を繰り返し、
かつ、入社してすぐから社内恋愛禁止の社内で役職のある営業社員と付き合っています。
彼女はこの度退職が決まりました。


彼女についてのことで営業所長の上司(元わたしのいる営業所の長です)から
今後の人員補充について面談がありました。
この方は後輩社員と営業社員との社内恋愛を黙認しています。
一通り話し終わった後、「ほかに何か困った事ありますか?」と聞かれました。


この時、「話しても良いんじゃないか、相談した方がいいんじゃないか…」と過ったのですが
できませんでした。
この上司とは採用の時から大変お世話になっていて、
わたしにとって(仕事面・存在感という部分で)理想の上司と思える人です。
入社してまだ2年で独り立ちしてから ようやく営業社員の方たちとの人間関係も安定してきており
この上司との関係も好転してきていると感じています。
結局それにひびを入れるかもしれない恐怖が、
自分が傷つけられている・軽んじられていることが許せないという思いよりも勝ってしまいました。


嫌われることが恐ろしいのです。


たとえどれだけ周りの人に嫌われても自分のことを分かってくれる人がだれか一人いればいい
究極は、自分は正しいと思ってるのだからもう少し自分の心を守るために頑張ってもいいはず


なのですが、わたしには昔からそれが出来ずにいます。

 


黙認して見ないふりを続ければ毎日は平穏かもしれません。
でも、傷つけられたことや軽んじられていることへの悔しさ、辛さは解消はされません。

 

 


かといって、それらを爆発させた後、自分が立ち直れないほど消耗することも知っています。
以前恋愛関係で似た出来事がありました。
裏切った相手を徹底的に糾弾し、追い詰め、恨みを晴らしました。
ぼろぼろになりました。
その人とのことは、もう何年も経つのにいまだに後悔するぐらい根深く心に残ってしまいました。


その時の衝動的な行動と同じことを起こしそうで怖いのです。
ましてやわたしは仕事を失うわけにはいきません。


なにより、何だかみんな気分よく過ごしているのだから
怖いことや緊張することが起きないのだから、このままで良いか、とどこかで思っている自分がいることに気付きました。

 


自分の存在を大切にすることより、目先の痛みや苦しみに目をつぶる事をわたしは選んでいるのだな、と。


この思考の癖がすべての元凶なのかもしれません。

 


とは言え今回のことを暴露するのが正しいのかどうか、わたしにはわかりかねるのです。
もしかしたら相手にされなくて、もっともっと悔しい思いをするのかもしれない。
何より暴露することによる目的が私にはありません。
営業男性の役職の降格を望んでいるわけでもないし
後輩社員は来月末には退職します。

 


いつもこうやって自分の内面に振り回されています。
顔の見えないところでしか素直に吐き出すこともできません。

 

 


婚約者も親身になって聞いてくれますが、彼はわたしと正反対で強いのです。
嫌われてもいいと言えない自分…
敵を作らないのはいいところなんだよと言われても、素直に受け止めれず…

 


なにかからいつもずっと逃げ続けている気がします。

 

 


今回もお読みくださり、ありがとうございます!

買わない挑戦

こんにちわ。
今日はこれから挑戦していこうと思っている「買わない挑戦」について書いてみようと思います。


いつも参考にさせて頂いているブログ
筆子ジャーナル
http://minimalist-fudeko.com/how-to-start-a-shopping-ban/


こちらに買わない挑戦については詳しく載っています。
よろしければご参考下さい。


わたしが買わない挑戦にチャレンジするにあたっての目的・目標について書いていきます。

 


▼浪費を減らしたい
洋服に限らず、つい雑貨やインテリアなど物を買いすぎる傾向にあるため。
リボ払いの残高を少しでも減らさなければならない今、生活に必要な
食品、消耗品以外を購入する余裕はありません。
ですが、すぐ自分に言い訳して買ってしまいます。
それを防ぐために始めてみようと思います。


▼悪い買い物の癖の修正
前述のブログ主の筆子さんも書いていらっしゃいますが、わたしにも収集癖があります。
沢山買って安心する、ついでだからこれもかわいいし買っちゃおう…
誰かと比べて持っていない、(部屋や身なりが)素敵じゃない気がするから…という
考え方の悪癖を治すことも目標です。


▼自分にとって本当に大切なものを知る
わたしにとって洋服(物)を買うことが最優先事項となってしまっているので
この考え方の癖を改めたいと思っています。
物はたくさん手元にあるのに、いざというときにお金を出すことができない…
こんなことが今までも本当に沢山ありました。
今度こそ抜け出したいのです。

 


買わない挑戦のターゲットと期間は
洋服を1ヶ月間買わない


まずこれからスタートしたいと思います。


本当に意思が弱く言い訳しやすいので、ここにしっかり書き残して
心を引き締めたいと思います。


10月を達成感いっぱいで終えたいです!

 


お読みくださりありがとうございます*

水切りカゴチャレンジ◆1週間経ちました。

生活をシンプルにすることで心も整えていけるのではないかという事がきっかけで、
ミニマリストの方のブログを参考に自分なりの理想の暮らしの為のチャレンジをしています。


その1つが「水切りカゴを使わない生活にチャレンジする」ことでした。


賃貸の我が家はキッチンの作業スペースが狭いのに、前に住んでいた賃貸から引っ越した時に
そのまま持ってきたサイズの大きい水切りカゴを使っていました。
もったいないって気持ちに流されていたのです。


大きな水切りカゴに圧迫された狭いキッチンで毎日イライラしながら食事を作ると
野菜をとりこぼしたり、ボウルをひっくり返したりと…本当にストレスでした。
そしてある日、ふと 「あれ、水切りカゴ捨てたら広くなるんじゃない?」と気付きました。


そして念のためインターネットで検索してみると、実践していらっしゃる方がたくさんいて
体験談を読むことが出来ました。
「ストレスがなくなった」「掃除が楽」などの言葉が並んでいて、すぐ実践しよう!!となりました。


ですが完全に捨ててしまう勇気は出ず、撤去し、しばらくしまっておくというスタイルで一週間過ごしてみました。


布巾を替える手間はあるけど、食器洗いを貯めこまずにこまめに洗う習慣ができたり、
見た目にすっきり広く感じて心が晴れました。
そして何より広い…うれしい…!!


婚約者はわたしの「捨てる」姿勢について少々慎重に見ている面もあるので
(三角コーナーを捨てた時驚かれました)
もう少し様子を見つつ、大丈夫そうだったら しまっておいた水切りカゴは捨ててしまおうと思います。


少しずつですが毎日気持ちよく過ごせる環境に近づけていきたいです。

 

 


お読みくださりありがとうございます*

女児が苦手◆母の思い出

幼少期の体験から今の自分のことを分析してみようと思います。

 


わたしの母は口調がとても厳しい人です。
短い言葉でぴしゃりと話します。ほめたり優しくすることはちょっと苦手なように見えます。
例えば


わたし「(掃除用の)コロコロある?」
母「はあ?!」
わたし「なんでそんな言い方??」
母「あんたが意味わからんこと言うからだわ!」


など
常時こんな様子です。悪気は…全くないようです。

母のわたしへの評価はほんとに低いようで、婚約者があいさつに来てくれた時も
「(わたしが)こんな人なのに…」と繰り返していました。
わたしにももちろん原因はあるのですが、
(メンタル壊していますし、その時の様子はひどかったと思います。
随分良くなりましたがパニックを起こしたときの抜毛癖もまだあります。)


実家で日常的に否定の言葉を浴び続けるのはつらかったなと思います。

 


小さなころから母のことは「笑ってるところをみたことない」と感じていました。
母はいつも怒っている、というのが小さなころのわたしの認識でした。
それは母の問題だったのか、もしかしたらわたしの発育に問題があったためか まだ理解できていません。


小さなころからいわゆる子供服の女の子らしいかわいい服や、帽子、ケープなどを着せてくれていたようです。
ファッションの嗜好の下地はこの時出来上がったのかなと思います。
その点では可愛がられていたとも思います。
ですが、女の子らしい服装をさせているのに、女の子らしい「ませた」口調は非常に煙たがられ、嫌がられました。
その当時の自分にとっては「否定されている」「いやな気持になった」ということしかわかりませんでしたが
自我が芽生えかかってるところを悪意はなくとも強く叩き潰されたのかもしれない と感じています。


「そんな言葉は普通使わないんだよ?」
「今自分のことわたしっていったの?(嘲笑)」
「いつまでそんなことやってるの!!」


などの言葉を投げかけられた記憶があります。
というより、これらの言葉しか覚えていないのです。
そして頻繁に叩かれたりつねられたりしました。
母は言葉で怒ることがとても苦手なのだと理解しています。


大人になったわたしは女児がとても苦手になってしまいました。
「ませた」「芝居がかった」「テレビアニメの真似をした」「ごっこ遊びをする」
年代の女児が、どうしてもどうしても苦手で、声がすると耳を覆いたくなるのです。


まだうまく表現できないのですが、心がとてもひんやりとします。
そして自分が子供のころ母に投げられた言葉が頭をぐるぐるとよぎります。
他にどんなふうに接するものなのかわからないのです。
婚約者に「そういう時は、『いいねえ楽しいの?』って声をかけてあげたらいいんだよ」と言われ
ハッとしました。
そしてそんな言葉を投げかけてもらったことがない自分に驚きました。

 


小さなころ、私のお人形遊びの定番は「病気の子を看病する」でした。
亡くなった同居の祖母に「いつもお人形さんは病気なんだねえ」と言われたことを憶えています。
母は風邪をひくと優しくしてくれて家にいてくれました。
愛情を得ることができなかったと今でもそう感じているのかもしれません。

 

 


お読みくださりありがとうございます!