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自分の心にかけている制限

 


こんにちわ。

 


先日気付いたことがありました。


以前裏切られて失恋した相手の人のことについてです。
彼とは共通の友人が居て、時々近況が耳に入ってきます。
(友人はおそらく善意ではありますが、
わたしとしては彼の話はあまり意識に入れたくない部分でもあります)


彼とのもめ事からも随分時間が経ち、自分なりに気持ちの整理ができ始めたころ
たまたま彼が友人に言ったそうです
「いやあ、○○ちゃん(わたし)も幸せならもう大丈夫でしょう」


この言葉を聞いた時、とても落胆した記憶があります。


彼とのもめ事は、わたしにも非はありましたが、
彼が悪意を持ってわたし(や、周りの人たち)を騙し、迷惑をかけたことが発端でした。
その時のことは思い出したくないぐらい大変で、彼は一時交友関係全てから音信普通になり、生死もわからない状態でした。
わたしもノイローゼ状態、彼の友人にも多大な迷惑がかかりました。
結果警察沙汰になるようなことに巻き込まれていました。
他にも余罪はたくさんありますが、あまり書きすぎても仕方がないのでこれぐらいにしておきますが、
ほんとうに酷かったです。

そんな出来事を起こしても、その言葉が言えるなんて。


わたしが幸せになると、彼のしたことは帳消しになるの??
どうして??


と、そう思ったのです。
そして思ってしまいました。
「わたしは間違いなく今幸せだけど、彼を許すか許さないかは別の問題だ」と。

 


それがだんだんと、凝り固まったこだわりになってしまい、自分の気持ちをむしばんでいることに
最近は気付き始めました。


少なからず彼のことを思い出す機会があれば、上記の気持ちと一緒に憤りが込み上げてきてしまいます。


「自分だけが良ければそれでいい」
そういう考え方をしている人に、自分の時間をこんなに奪われていていいのかと
この気持ちを自分の中から少しずつでも消していかなければ、
彼に人生をコントロールされているも同然なのではないか…と、今は思っています。

正直な気持ちは、忘れたり怒るのを辞めてしまうことで、彼に「許された」という都合のいい認識を与えたくない ということだと思います。
それ程強い気持ちですが、結局自分を縛る元になっているなら意味がありません。

 


偶然ですが、彼とわたしの誕生日は同じ日でした。
思い出すきっかけは其処此処に転がっていますが、まずは共通の友人に
「彼の話はもういいんです」と遠慮せずに伝えることから始めてみたいと思います。

 


お読み下さりありがとうございます*