女児が苦手◆母の思い出
幼少期の体験から今の自分のことを分析してみようと思います。
わたしの母は口調がとても厳しい人です。
短い言葉でぴしゃりと話します。ほめたり優しくすることはちょっと苦手なように見えます。
例えば
わたし「(掃除用の)コロコロある?」
母「はあ?!」
わたし「なんでそんな言い方??」
母「あんたが意味わからんこと言うからだわ!」
など
常時こんな様子です。悪気は…全くないようです。
母のわたしへの評価はほんとに低いようで、婚約者があいさつに来てくれた時も
「(わたしが)こんな人なのに…」と繰り返していました。
わたしにももちろん原因はあるのですが、
(メンタル壊していますし、その時の様子はひどかったと思います。
随分良くなりましたがパニックを起こしたときの抜毛癖もまだあります。)
実家で日常的に否定の言葉を浴び続けるのはつらかったなと思います。
小さなころから母のことは「笑ってるところをみたことない」と感じていました。
母はいつも怒っている、というのが小さなころのわたしの認識でした。
それは母の問題だったのか、もしかしたらわたしの発育に問題があったためか まだ理解できていません。
小さなころからいわゆる子供服の女の子らしいかわいい服や、帽子、ケープなどを着せてくれていたようです。
ファッションの嗜好の下地はこの時出来上がったのかなと思います。
その点では可愛がられていたとも思います。
ですが、女の子らしい服装をさせているのに、女の子らしい「ませた」口調は非常に煙たがられ、嫌がられました。
その当時の自分にとっては「否定されている」「いやな気持になった」ということしかわかりませんでしたが
自我が芽生えかかってるところを悪意はなくとも強く叩き潰されたのかもしれない と感じています。
「そんな言葉は普通使わないんだよ?」
「今自分のことわたしっていったの?(嘲笑)」
「いつまでそんなことやってるの!!」
などの言葉を投げかけられた記憶があります。
というより、これらの言葉しか覚えていないのです。
そして頻繁に叩かれたりつねられたりしました。
母は言葉で怒ることがとても苦手なのだと理解しています。
大人になったわたしは女児がとても苦手になってしまいました。
「ませた」「芝居がかった」「テレビアニメの真似をした」「ごっこ遊びをする」
年代の女児が、どうしてもどうしても苦手で、声がすると耳を覆いたくなるのです。
まだうまく表現できないのですが、心がとてもひんやりとします。
そして自分が子供のころ母に投げられた言葉が頭をぐるぐるとよぎります。
他にどんなふうに接するものなのかわからないのです。
婚約者に「そういう時は、『いいねえ楽しいの?』って声をかけてあげたらいいんだよ」と言われ
ハッとしました。
そしてそんな言葉を投げかけてもらったことがない自分に驚きました。
小さなころ、私のお人形遊びの定番は「病気の子を看病する」でした。
亡くなった同居の祖母に「いつもお人形さんは病気なんだねえ」と言われたことを憶えています。
母は風邪をひくと優しくしてくれて家にいてくれました。
愛情を得ることができなかったと今でもそう感じているのかもしれません。
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