洋服が好きで好きでたまらないことをやめたいブログ

買うのが止まらないことから自分に向き合うブログ

わたしのやりたいことは何だろう?


こんにちわ。

 


いつものようにミニマリストさんのブログを読んでいると
「本当にやりたいことの代わりにお手軽な買い物をしてしまっている」
という一文がありました。


なるほどーと何となく腑に落ちました。
わたしの場合はどういう感情の動きがあって服を買ってしまってるんだろうか?
と思い、改めて分析してみることにしました。

 


◆いつもと違う特別な出かける用事があるとき


この予定が半年近く先のことでも、
「何着よう?着るものがない気がする…」と、新しい洋服を物色していました。
この用事が待ちきれない→服を買う行為で待ちきれない気持ちを紛らわす
ということかな?と
あとは、その用事のある場にいる人たち(友達や、イベント事であれば客層)に合わせて
いつもなら着ないようなテイストの服を探して買うこともあります。
これは周りと比較して「浮かないようにしたい」という気持ちの表れかと思います。
そして買った服はいつも自分が着てるものとは全然違うのでその後ほとんど着ることはありません。


こういう機会に買った洋服はさっぱりと断捨離してしまうのが良さそうですね。

 


◆自分らしい服装がわからない

①着たい・憧れる・こうなりたい
②好き・かわいい・年齢的に許されないけど欲しい 


この二つの服装の間で揺れているように思います。


更にそこに


③好きじゃないけど無難・仕事に着ていける
というものが加わっているように思います。


他人と比較している、好きじゃないのに買っていることに気付いてからは、
「仕事用」として洋服を買うことはなくなりました。

 


①の服を買うときはとても時間をかけて吟味します。
形はどうだろう…色はどっちが似合うだろう…長く着れるだろうか…丈は短すぎないか…など
もちろん金額も少々厳しめに見て、ちょっとでも値段に見合わないと感じれば
購入を見送ります。


恐らく①の服装が理想とする自分に近いのでしょう。

 

②の服を買うときはほぼ衝動で購入してしまいます。
特に重要なのは柄とプリント。
かわいい・好き・色がきれい・個性的
そういうものにとても弱いです。
やや丈が短いような?ちょっとサイズが心配かも?これ、いつ着るの?何と合わせる?
等の心配事項が頭にどんどん浮かぶ洋服が多いです。
(そしてその心配を「可愛いからいいや!!」とめちゃくちゃ理論で吹き飛ばして買ってしまうのです)
10代のころ好んで着ていたものに近いテイストのものが多いです。


恐らくその頃の着たかったけど着れなかったものを今着ようとしているのだと思います。
過去の自分にこだわっているともいえると思います。

 

 


こうして書き出してみると、わたしに必要なのは①の服で、
執着をすてるべきなのは②の服のようです。


クローゼット整理の時の参考にしてみようと思います。

 

 


◇過去の自分にこだわる◇


もしかしたらわたしは今の自分より過去の自分の方が良かったと思っている部分があるかもしれません。

個性的で我が強くてちょっと変わっているけど筋が通っていて…
そういう人に憧れていますし、なりたいと思っていました。
今もそれは変わっていません。

昔の自分はとても子供でしたし精神も人間関係も不安定でしたが
個性的ではありました。
あらゆるものを何でも作り出せるような気がしていました。
毎日何枚描いても足りないくらい絵が描けました。


今のわたしはいろんな意味で大人になってしまったという感じで
そういう部分は枯れてしまいました。
何物でもない、何にもできない人間になってしまったような気がしています。

だからせめてその当時自分がしていた服装だけでも…と執着しているのかもしれません。


自分が変わってしまったこと
もし何かになりたいなら、少なくとも洋服を買い求めるだけでは何にもなれない事
わかっているつもりでわかっていないのかもしれません。


「本当にやりたいこと」はこの過去の自分へのこだわりの中に眠っているのかもしれません。

 

 

お読み下さりありがとうございます*

全部捨てたい


唐突に洋服を全部捨てたい衝動が襲ってきました。


好きで買い集めたはずなのに、なんでこんなに苦しめられているのか?
全部手放したら楽になるんじゃないか?


いやいや
結局目にしたら可愛くて捨てられないんだ。
減らすつもりでクローゼットを開けてるのに全然捨てる服を選べないじゃないか。
全部手放してもまた欲しくなって買い集めてしまうんじゃないのか?


この二つの間を行ったり来たりしています。

 


断捨離をした方々の
しがらみから解放されて自由になったような
そういう体験談を読むたびに羨ましく
こうなりたい、もう嫌だ と感じるのに服への執着が断ち切れません。


繰り返し着ていない服、たくさんあります。
気に入って繰り返し着ているもの…今思い出せるのは3~5着程度
ならもう、他の服は要らないんじゃないのか?
そう思ってクローゼットを開けるのですが
思い出せなかった服の方が惜しく感じて、捨てる決断に至りません。


家事と仕事に追われてなかなかじっくり考える時間もとれず、
なんだか気持ちもくたくたです…


これ以上物や欲に振り回されたくないです…
いっそのこと思い切ってしまうことも大切なのかもしれません。

 


お読み下さりありがとうございます。

 

 

因果応報はない。


こんにちわ。


タイトルの内容について最近よく感じることを書いてみようと思います。

 


漠然とどこかで
「因果応報はある」「悪いことをしたら報いがある」
そう思っていました。
悪意を持った人に傷付けられることがあっても、「いつかあの人も痛い目にあう」
そう思うことで堪えてきたように思います。


でも、ある出来事をきっかけに ある意味心の逃げ場にしていた
「因果応報」が「ない」ということに気付いてしまいました。

 


前の記事にも書いた、彼のことです。
彼はまず、わたしとの恋愛に不誠実でした。
というより、わたしは自覚なく不誠実な恋愛の相手にされていました。
婚約者の女性と一緒に暮らしていたのに、彼はわたしには一切言わずに恋愛関係を持ちました。


そして更に、彼は周りの友人に不誠実でした。
周囲の人と一切音信不通にしなければならないような犯罪行為に巻き込まれ
(というより自ら突っ込んでいき)
彼を心配し、手を尽くして行方を捜したりしてくれていた人たちの前に再び戻ったとき
へらへらと笑って反省の色がなかったそうです。


そしてもう一つ私には許すことができない事があります。
溺愛してるかに見えた彼の飼い猫。
脱走を放置し、探すこともせず引っ越してしまいました。
探すことをすすめましたが、探しませんでした。
戻ってこないなら戻ってこないでも仕方ないというような事をいっていましたが、
もし怖い目に遭っていたら?もし引っ越した後に戻ってきたら?
我が家も猫を飼っていますが、理解が全くできない行いでした。

 

それでも彼は仕事に成功し、上記の婚約者の方ではない別の女性と結婚し
できちゃった婚だそうです)
お子様にも恵まれ、新しく別の猫も飼っています。
奥さんの実家で暮らし、生活の心配もしていないようです。

 


なぜなんでしょうか?
もし因果応報が存在するのなら、なぜ彼が幸せになる事ができるのか?

 


彼は人の心に入り込むことが上手い人でした。
彼と新しく友達になった人は誰も彼のことを悪く言う人はいません。


わたしの目から見て、些細な問題であっても責任を負う前にとても巧みに逃げる
そしてその問題が片付いたころ戻ってきて、
その問題で大変な思いをしたり傷ついた人たちに
「だいじょうぶ?」などと声をかけて心に入り込む


そんな感じのことをする人でした。

 


結局因果応報なんてないのです。
器用にたちまわり、責任を逃れ 要領よく生きていく人は
たとえ悪事を働くことがあっても、周りをぼろぼろに傷つけても
あっさりと幸せになるのです。

 


なら、わたしはやっぱり器用でなく、容量も良くないから利用される側なんでしょうか?


時々、周りの人すべてが悪意を持ってわたしを利用している
舐められ付け上がられてる
そんな風に感じる時があります。


自分はいつも正しくいたいと思っているのに、その思考が自分の邪魔をしているような
そんな感覚になります。

 


この感覚についてはあまり良い答えが出せていません。
因果応報があったとしても、それ自体もあまり良いものに最近は思えなくなってきてもいます。


友人が
「自分を不幸にして苦しめた人が不幸になって困ってる。
因果応報だ。やっぱり人の不幸の上に幸せは成り立たない」
と、最近言っていました。

 


でも、自分自身 誰をも不幸にしてないと言えるでしょうか


考えれば考えるほどわからなくなってしまうのです。
少なくとも、誰かが不幸でないことを理不尽に思っているうちは、うまく折り合いも付けれないのかもしれないと
そう思います。

 

 


お読み下さりありがとうございます*

 

自分の心にかけている制限

 


こんにちわ。

 


先日気付いたことがありました。


以前裏切られて失恋した相手の人のことについてです。
彼とは共通の友人が居て、時々近況が耳に入ってきます。
(友人はおそらく善意ではありますが、
わたしとしては彼の話はあまり意識に入れたくない部分でもあります)


彼とのもめ事からも随分時間が経ち、自分なりに気持ちの整理ができ始めたころ
たまたま彼が友人に言ったそうです
「いやあ、○○ちゃん(わたし)も幸せならもう大丈夫でしょう」


この言葉を聞いた時、とても落胆した記憶があります。


彼とのもめ事は、わたしにも非はありましたが、
彼が悪意を持ってわたし(や、周りの人たち)を騙し、迷惑をかけたことが発端でした。
その時のことは思い出したくないぐらい大変で、彼は一時交友関係全てから音信普通になり、生死もわからない状態でした。
わたしもノイローゼ状態、彼の友人にも多大な迷惑がかかりました。
結果警察沙汰になるようなことに巻き込まれていました。
他にも余罪はたくさんありますが、あまり書きすぎても仕方がないのでこれぐらいにしておきますが、
ほんとうに酷かったです。

そんな出来事を起こしても、その言葉が言えるなんて。


わたしが幸せになると、彼のしたことは帳消しになるの??
どうして??


と、そう思ったのです。
そして思ってしまいました。
「わたしは間違いなく今幸せだけど、彼を許すか許さないかは別の問題だ」と。

 


それがだんだんと、凝り固まったこだわりになってしまい、自分の気持ちをむしばんでいることに
最近は気付き始めました。


少なからず彼のことを思い出す機会があれば、上記の気持ちと一緒に憤りが込み上げてきてしまいます。


「自分だけが良ければそれでいい」
そういう考え方をしている人に、自分の時間をこんなに奪われていていいのかと
この気持ちを自分の中から少しずつでも消していかなければ、
彼に人生をコントロールされているも同然なのではないか…と、今は思っています。

正直な気持ちは、忘れたり怒るのを辞めてしまうことで、彼に「許された」という都合のいい認識を与えたくない ということだと思います。
それ程強い気持ちですが、結局自分を縛る元になっているなら意味がありません。

 


偶然ですが、彼とわたしの誕生日は同じ日でした。
思い出すきっかけは其処此処に転がっていますが、まずは共通の友人に
「彼の話はもういいんです」と遠慮せずに伝えることから始めてみたいと思います。

 


お読み下さりありがとうございます*

 

自分にとって何が一番大切か。


数年前、結婚を前提に付き合い始めた彼のいる友人と買い物に出かけた時のことです。


可愛い服を前に、友人が購入するか悩んでいました。
繰り返し手に取って悩む様子にわたしは
「気に入ってるなら買った方がいいよ」
といいました。


友人は暫く迷っていましたが
「いや、やっぱり服買うよりお金貯めたいから。そっちのが大事」
と答えました。

 


来年の春その友人が結婚式をします。
きっとしっかり結婚資金を貯めたんだと思います。


一方のわたし…
来年の夏に結婚式をします。
ほんとに小さく小さくの予定です。
婚約者もわたしも目立つのが苦手で大きな式に憧れはありませんでしたが
規模が大きくても小さくても最低限の負担額はあまり変わらないのです。

 


きっと、友人とわたしはこの数年で大きく貯金額に差があったのでしょう。


ストレス
失恋
転職
引っ越し
ペットとの死別や病気


あらゆることをわたしは言い訳にしてきました。


過干渉な親にこれ以上主導権を握られたくない・子ども扱いされたくないと言いながら
結婚資金は父方の祖父がわたし用にとっておいてくれたお金をあてることになりました。


とてもありがたいことです
そしてとても情けなく、ふがいない事です。


この2年間、自分の心を折らせないため、ひたすら呟いてきました。
「明日になったら貯金が一ケタ増えてるなんてことはないんだから焦ってはいけない」


こんな考えがいけなかったんでしょうか?

 


反省のためただ自問自答する日々です。
わたしが変わるためにできることは「買わない」「捨てる」ただそれだけです。

 


お読み下さりありがとうございます*

買い物のくせ


前回の記事にも書いた通り、今現在は「買わない挑戦」中です。
ですが、なぜか通販のページを何度も見てしまうのです…
見なければ欲しくなることはないのに。
我慢する辛さも感じなくて済むはずです。

その心理はいったい何なのか、自己分析してみようと思います。

 


◆着用画像を見ることがレジャーになっている。


以前もご紹介した
筆子ジャーナル
http://minimalist-fudeko.com/


こちらの記事で目にした「買い物が止まらない人は買い物がレジャーになっている」というもの


恐らくわたしは当てはまると思います。
商品(雑貨や洋服)を見ることがたまらなく楽しいのです。
特に洋服は、着用画像をみることがとても好きです。
ショップのスタッフさんはもちろん、ブログやインスタグラムに投稿されている愛好家の方の着用画像まで。
気になるお洋服があるとひたすら調べてしまいます。
そして結局…その服を買うのです。
「自分と似た体形の人が着こなしていたから」という言い訳を使って。


次にわたしのいつもの買い物の癖について自覚のあることを書き出してみようと思います。

 

◆買い物のくせ


わたしの買い物の癖ですが…前職の仕事に影響されたところも大きいと思います。


まず最初に、同じ職場でももちろん堅実な方はたくさんいました。
なのでこの仕事をしたせいでどんどん浪費が進んだ、というよりは
仕事という毎日の習慣の中でもともとあった自分の買い物の癖を加速させてしまった
というのが答えだと思います。

 

前職は雑貨販売員でした。
発注から売り場づくり、売り上げの管理など…担当した部門のことはすべて一人で受け持つ体制でした。
この「発注、売り場づくり」の流れがわたしの買い物の癖を加速させたのだと思っています。


季節の売り場づくりでは、テーマを設定し、新しく届いたカタログの中から売りたい商品を決め
予約という形で一気に発注を掛けます。
そしてそれらの商品はまとめてお店に届きます。
いわゆる「季節の提案」「立ち上げ」の作業です。


そして商品が届いたら営業時間中に新しい売り場の提案を作り上げなければなりません。
お店にあるインテリアや届いた商品などを駆使して3~4時間で売り場を作り上げます。
ものすごい作業量ですが、すごく「楽しい」のです。
新しい商品はわくわくします。
それに毎日いる売り場が がらっと変わるのは目新しく楽しかったです。


この「一気に買う」そして「一気に変える」
これがわたしの買い物のくせに悪い影響を与えました。


お店には常に新しいものが入ってきます。
その刺激がほとんど毎日ある職場でした。
前の仕事を退職してからは、その職場での習慣だったものを
私生活に取り込むようになってしまいました。


例えば部屋を片付けて少し模様替えをしたい。
それを少しずつやる、ということが我慢できない。
たとえ家具が高額でも、カーテンがまだ使えそうでも、カーペットを買うのが難しくても
全て揃えて一気に変えたい。
そしてそれを定期的にやりたい。


これはそのまま売り場づくりの癖を引きずっています。
「買い物をしたい」「新しいものが欲しい」
この気持ちに以前は仕事で折り合いをつけていたように思うのです。
常に新商品に気を配り、新しい提案を考える。それは仕事でしたから、当たり前です。
今のわたしの「新しいものへの欲求」や「強い誘惑」はこういうところからも来ているように思います。

 


◆それならどうするか?


今実践しているのは断捨離です。
もしくは、定期的にクローゼットの中身を取り出し、必要かどうかを検討する作業。
ワードローブの把握という意味でも意識的に行っています。
この1ヶ月で10点ほど手放すことが出来ました。
有難いことに、フリマで買い手も付きました。


お洋服を買い手の方に送るとき、
「どうしてわたしはこんなかわいい服を一度も着ないでしまっていたのだろうか」
「そうだ、お金がなくて出かけられなかったからだ」
「どうしてお金が無くなったんだろう」
「この服を買ったからだ…」


と、自問自答しました。
情けない事です。

 


貴重なお洋服の在庫をわたしのところで留めることは
お洋服自体も、着たくて探している愛好家さんのことも不幸にすることだと最近は感じています。


どうせ家の外に出すなら積極的に着てくださる方に少しでもお譲りしたいものです…
拘りすぎると断捨離がはかどらなくなるので、出来る範囲でそうしていきたいです。

 

 


こうしていろいろ書き出している間に随分洋服への誘惑も消えてきて
買わなくちゃという焦りも楽になってきました。


今回も長文となりましたがお読みくださりありがとうございます。

洋服の誘惑

おはようございます。


再び洋服の誘惑が襲ってきました。
心を落ち着けるため、まずはここに書き留めようと思います。


現在わたしは「買わない挑戦」中です。
目標は10月末まで。ターゲットは洋服。
終わったらずっと行ってない映画館で好きな映画を一本見たいと思っています。
(映画が大好きなのに、洋服にお金を使ってばかりでずっと見に行くことができませんでした)

 


前記事にも書いたように、生活を整えていくため家具を購入するかも検討しています。
ですが、洋服を一着買うと、その予算はすべて消し飛んでしまいます。


お金がなければ出かけることもできません。
着ていく場所がないのに、なぜこんなに洋服ばかり欲しくなるのでしょうか???
自分でも本当に不思議です…

 


今月の収支を昨日ノートに書きだしました。
赤字2万円。
そもそも買い物をする予算を組むことすらままならないのです…
買わない挑戦を始めて正解でした。
お金が余分に出ていかない、と思うと気持ちも焦らないです。


更にもう一点、母から連絡があり、兄弟全員分の個人年金の申し込みをしてくれたそうです。
(もう自活してるのだから自分で選んで手続したかったのは本音ですが…
そろそろそういったものに入るべきか検討していたところだったので素直にお礼を伝えました。)
これで毎月7000円払うお金が増えることになりました。


将来の為の積立のようなものなのでいつかは返ってくると思えば苦ではありません。

将来というと果てしなく遠い先のことのように思いますが、きっとあっという間にその時が来ます。
その時に手元に服や物ばかりで、少しもお金がなく辛かったら…
わたしに必要なのは月に一着服を買うことよりも
月に一度お金を貯めていくことなのです。

 


こういった要素を総合すると、「服は買えない」
結論はしっかり出ています。


新しいものばかり追い求めていても自分が新しいものに変われるわけじゃないです。
本当に自分を新しくしたいのなら「買わない」
買わないことでようやく一歩踏み出せると思います。

 


今がこらえ時だと思います。がんばります!

 

今回もお読みいただきありがとうございます*